⑤20年経った今でも、気にかけてくれているH先生
幼少期の理想の人は?
幼稚園の先生方やH先生だ。
〈具体〉
- 幼稚園のH先生
- 従兄弟のおじさん
1番印象にのことっている先生だ。優しく、太陽のような温かさがある。
昨年、悩みを開示したブログを書いた時、卒業から20年経ったにも関わらず、わざわざ個人宛にメッセージを送って下さり、励ましや自己肯定を高めていただいたのは感謝しかない。
ありがとうございます。
従兄弟のおじさんは、とにかく話が面白い。父親にはない視点で物事を話せる人。1つのポイントとして仕事で海外に出てることがあると思う。(今年は追加で語学の習慣化これを目指そ……)
〈抽象化〉
- 誰にでも優しく、まず受け入れる。
- 常に前向きで、人格を否定する怒り方をしない。
- 子ども達の成長を促し、見守る。
- 自分〈 子ども → 利他の精神
- 社交的かつ他国など経験豊か
気にかけてくださる方達がいたおかげで、幼少期は困難な事なくほぼほぼ幸せに過ごせたのだと、振り返るとそう思う。とまあ、カッコよく言ってみたもの何事も“当たり前で受け取ってはいけない”そこに気づけたのは感謝。
お互いに補い合って、支えあって生きていきたいよね。
〈転用〉
- 人と向き合う時は、明るく前向きに。
- 人生における大事な人を気にかける。
- 経験値を稼ぐため、海外に旅に出る。
まあ、何を言おうと、大前提として
自分の健康が1番だいじなんだ!!
あっ、これって自分の軸に近いかもしれない……。
表現はかなり抽象的であるため、具体化する。
→自分がまず健康ではないと、他人のことを気遣うことはできない。
→→自分の心と体が健康でないと、他人のことを考えたり幸せにしする行動をする事が出来ない。
→→→自分の精神状態が安定しており、毎晩寝つきも良く、適度な運動と適切な食事を行う。
そして、物事を前向きに捉えることのでき、文字通り健康と誰もが言える状態ではないと、他人の事を考えてたり、自分と関わった事でプラスの影響を与えることができない。
楽しければ、
健康でなくてもいいとはやはり自分の場合はならない。健康あってこそだと思う。(1つの軸として、これは当てはまるぞ……)
と考えると、今はかなり健康的だと思う。
物事を前向きにとら得られる、かつ運動もして、習慣化も進んでいる。好奇心も高くなってきた。
健康を保とう。
さあ2019年、経験値を稼ぐために外へ出るぞ!