7.中途半端ににみたされた不自由のない世界
問7.幼少期の理想の住まいは?
答.ありません。実家だったのかもしれない。
具体
- 思い出せない。
- 実家であるのかもしれない
- 駅から近く、マックも公園も学校も全て近い。
幼少の頃は、全てが大きいサイズだった。
実家での暮らしは安心できる人たちとの共同生活で、友達も近くに住んで全てが歩いて行ける範囲で完結していた。
→住まいについて理想や憧れがなかったのは
・ほとんど困らずに生きてきた
・知る機会が少なかった
からであるとおもう。
不便性や困ったことがなかったから、中途半端に満たされていたから、理想を望むことがなかったのだろう。
東京23区はコンパクトというよりも、密集している、生活範囲は狭く通りを越えた先は静かな街。
抽象化
割と満たされていた……そりゃそうだ。特にお金持ちというわけではないが、モノに困った経験がない……親に感謝。
必要充分が揃っている。徒歩圏内に生活に必要なモノが全てあった。ここでも、不便さを感じることはなかった。新しい価値観に触れるというよりも、定番や安心感しかない。まあでも、6歳までとなると行動範囲は限られてる。
→不便性や困難さは、アイデアのかたまり。
理想へと思いや、渇望を産む。
転用?
現状に満足しないなどの、ハングリー精神は芽生えなかった。その結果としてマンネリ化した日常からの反発が起きた。
この頃は満足してた。
→これは今の精神状態とはかなり異なる。今は社会を知った、生き方の多様性を知ったからこそ、今のままでは満足できないのか?
ただ、住むということに関しては、徒歩10分以内に全てがあるとほぼノーストレスなのかもしれない。加えて電車で3駅以内にアミューズメントや仕事場、サードスペース党があるとなお良い。
→
人生で1番何に対して不便さや困難を抱えてきたのだろう。そこに、理想への思いがあると言えるだろう……私の場合、今までの人生だと
-
中学時代の野球部でのいじられと家での居場所のなさ
-
就活の失敗による自信損失
これに困難さや辛い時期は集約されてくる。
この2点に関しては、今後再度抽象化・転用する。
追記
最近、サボりがちになる。
1人でやっているからなのか、協力者は見つけた方がいいかもしれない。
ただ、自信がないから「こんな俺が〇〇してもいいのか」とも思ってしまっているのも事実。
最近読んだ、新R25で厚切りジェイソンさんが取り上げられていた。その中で響いた言葉がいくつかあります。
変われない人って「自分の人生に自分で責任をもって生きる」という感覚が足りないんだと思うよ。
…だけどそれは、「日本人が」ということじゃないんですよ。「人間が」…という話です。
(中略)
自分のなかにある「変われない自分の背中を押してほしい」「変われない“日本人”を肯定してほしい」といった姿勢に気付き、とても恥ずかしくなりました。
これ、すごく共感できました。
変わることって、めんどくさくて、大変で、活動しにくいんですよね。そんな自分を肯定するかのように、「日本人って安定志向だから」と思っていることもあったと思います。
変わる人は、変わりたいと思っている。また、それに伴う行動を起こせる人
なんですよね。
まずは小さなステップを超えて超えて超え続けて、続けて自身に繋げよう。